承認欲求を満たす道具としてのお金

なんでもいいから金が欲しい。金を儲けたい。

そう言って娼年の面接を受けにくる病人が一定数いるが、娼年は健全さが売りである。だというのに、なんでもいいから金持ちになりたいというのは、いかにも歪んでおり、健全じゃ無い。精神科医に言わせれば病的である。

堀江貴文も本に書いている、しかもずいぶん前に。

金持ちになってキミはどうするの?

的を得たタイトルである。稼げない男、貧困男の典型的な考え方である。高須クリニック高須克弥氏は、そう言う男は絶対に金持ちになれないと断言している。よく覚えておきなさい。

そして精神科医としてずばり言う。そう言う病的男は、無闇に金を持つことで、不足している自信を補填しようとしているのである。金を持てば、周りが無闇にチヤホヤしてくれる、注目してくれる、尊敬してくれると思っているのである。

ちやほやされたい。
誉められたい。

尊敬されるどころか劣悪教育の失敗作と思われる。これが健全な社会というものである。しかし類友の法則を思い出してくれればわかるように、そういう連中の周りにはそういう連中しかいないので、そういう連中の中では、無闇に金さえ持てば、無闇に周りがチヤホヤするのである。そういう病的社会にそいつらは所属しているというだけの話だ。

肥大した自我意識を制御できず、自分を認めてもらうことばかり考えるようになり、選択や判断の基準がそれだけになる。

既に大金を稼いでいても、これまで何人の有名人が、この論理で逮捕されたり、精神科閉鎖病棟に入院する羽目になったか。槇原敬之然り、清原和博然りである。