東京の娼年システムを創った理由⑧

奥村君の資本主義的才能は、人を巧く使う能力である。驚くことに奥村君の後輩は全員奥村君に何らかの忠誠を誓っている。精神科医の私からするとこれは極めて興味深いテーマである。コロナのせいで、奥村君とは山口君の時ほど直に会えていないが、それでもわかったことがある。奥村君は、人の「良いところをまず見つける」癖がついているのだ。そして人の「良いところを引き出し、それが長所と自覚させる」能力に長けている。だから皆奥村君を慕うようになるのだ。

選手に己の価値を自覚させ、それをグングン伸ばすよう、使いに使うというのは、コーチングの基本中の基本である。奥村君はそこに長けているのだ。おそらく就職する宣言でもすれば企業は放って置かないだろう。

「東京の娼年」は山口君、そして奥村君の登場でそれまで予想していなかった方向に進み始めている。

もちろん好ましいことである。チャレンジは常に好ましい。

東京の娼年についての私個人の基準は「健全な考え方や新しい働き方の規範になるような男」であるが、それももうちょっと古いのかもしれない。「変化の時代」と言われる実の意味は、口先だけでなく、この今瞬間ですら変化しているということである。このシステムを始め5年以上経つ今、5年前の私のこだわりもまた古い慣習なのかもしれない。

そういうことを体感するダイナミックなシステムが「東京の娼年」である。組織やシステムは常に変化し、いろんな形状に姿形を変えていく。昨日と全く同じということなどありえない。そういうことは自己啓発本には必ず書かれている。しかし人はなかなかそういうことを日々実感しながら生きるということをしない。

そういうことを体感するダイナミックな組織やシステムがあるとするなら、それは小舟で、いるのは大海原である時だ。総勢70人程度の組織など資本主義経済社会では小舟である。しかし小舟だけに、船員は、船酔いしないための平衡感覚を率先して磨かねばならないという意識になれるのだ。