普通がいちばんと言う狂気

人目他人の目を病的に気にすると、自分の判断による決定行動できない癖がついてしまう。ということは自分では何も、自信持って、判断決定できないということになる。そうなるとヒトの精神は間違いなく病む。病んで働けなくなるから貧困になるのは当然として、それ以上に、貧困の沼にずぶずぶ沈み這い上がれなくする理由が、人目他人の目を病的に気にする脳みそにはある。

世界は「資本主義」という経済システムを採用しており、その資本主義では、「皆と同じ」とか「普通」は何の価値もないとされているのだ。このことを理解せずぼんやり生きている人は相当たくさんいる。以前、顔や体がカッコよくて私の好みだった男の口から、

普通がいちばん。

というセリフが飛び出て来た時、私は耳を疑うより前に、瞬間冷却されたみたいに一瞬で冷めた自分を自覚した。我ながらびっくりした。それくらい「普通がいちばん」という考え方は、資本主義においては適者生存できない危険な考え方なのである。びっくりしながらも、そういう不合理な考え方を本能的にシャットアウトできた自分自身の判断を誉めた。

もしあの時、私が自分を曲げて、彼の考え方に賛同していたら今の成功はない。おそらく一介の精神科医として外来や病棟業務に忙殺される生活をすることになっただろう。

普通なんて、良いことは何もない。

資本主義においてこの考え方はとても大事である。この認識を脳みそに刻まない限り、資本主義における成功は掴めないし、それどころか貧困の沼にずぶずぶ沈み、2度と這い上がって来れなくなる。