今の怪し気が次の覇者

以前私の座右の銘として高須克弥氏の「今の怪しげが次の覇者」という言葉を紹介したことを覚えているだろうか。あの後、数人の知人から「刺さった」というメールが来た。そう。まともなら、刺さらなければおかしい。あの言葉にはそれくらいの真理が詰まっている。

特に日本人は外国人や外から来たものへの心理的抵抗が強い。異質や理解できないものへの抵抗である。抵抗どころか攻撃排除への傾向が強いのが精神科医として気にかかるところである。

村八分という文化に象徴される日本人の集団とか組織というものに対する考え方は、令和の今となっては異常である。「皆と同じ」を強要し、そうしない人を寄ってたかって虐め攻撃し排除する。今だにそういう機能を温存させている組織や集団は実に多い。会社であろうが部活であろうが、今だに、そこら中に残り、人々の精神を病ませる大きな原因となっている。

この事態を改善する方法は一つしかない。歴史に学べば一つしかないのだ。それは、

多数派に屈しない。

それだけである。大丈夫、歴史が私たちにそれを教えてくれている。天動説地動説だってそう。今、事実真実として揺るぎないことでも当時は「キチガイ」扱いされ、打首処刑されたのである。高須先生にしても同じだ。医師免許を取得しておきながら美容に進むなんて「頭がおかしいのか」「いかれてるんじゃないか」と散々言われたそうである。そういう時代だった。しかし今は「イエス高須クリニック」である。このイエスの意味、皆さんは本当に理解しているだろうか。

「自分らしく」と言われるようになって久しいが、自分らしくを実現する最初の一歩が、多数派に屈しないことである。ここを乗り越えられない人が、恐ろしいことに、一生果てなき「自分探しの旅」を続けなくてはならないのである。