恋愛で身を滅ぼす女②

サキが全国模試の成績優秀者の圏外になるなど、ありえないことだった。初めて男を好きになるまでは。得意の数学では開成や麻布の男の子を差し置いてトップをとったことも数回あるくらいの秀才だったのに。

私は見るも無残に打ちひしがれた彼女を遠目に見て、ゾッとしたことを覚えている。明日は我が身。しっかりしないと。と、自分を戒めた。

サキは、ふしだらな男に徹底的に振り回されていた。学校名は伏せるが、鉄緑会で知り合ったと言えば大体わかるだろう。おそらくその男も自己肯定感は病的に未熟だったに違いない。何故ならふたりの関係は恋愛ではなく支配被支配の関係だったからだ。

高校二年にもなると、それまで圏外だった子たちが一斉に勉強をはじめ、順位がかなり入れ替わる。どんな進学校にも、最後の1年で急激に伸び10傑に入ってくるような子が必ずいる。そしてサキのように10傑の常連が見るも無残な圏外落ちすることも全然珍しくない。普通にある。

問題はここで挽回するか否かである。挽回するには体勢の立て直しをしなくてはならない。その立て直しに必ずどれだけか時間を費やす。ラストスパートと言っても、全員がスパートするわけだから、相当な号脚を繰り出さない限り、ゴール直前で差し切るなど無理である。

私は最終通告のタイミングを見計らい、セリフまで準備していた。そこで男を断ち切らなかったらもう間に合わないというタイミングである。

これも当たり前のことだが、成績が落ちると、それまで取り巻いていた友達連中は見事にいなくなった。現金なものだ。よくあるとは言え、下衆すぎる。なので、この局面でサキに何かを言えるのはもう私しかいないという格好になっていた。

恋愛で身を滅ぼす女①

高校時代の親友のひとり「サキ」がそういうタイプだった。恋愛することで具合が悪くなり、成績まで大きく落とす。しかもそれを東大受験のこれからって時にやってるから、親友として黙っていられなくなった。

あんた何してんの。大事な時期に。そんな体たらくになるんだったら彼氏と別れなよ!

きっと私は怖い顔をしていただろう。しかしもっと怖い顔をしていたのはサキの方だった。

あんたはいいよね。大学生の、それも、相撲部の男と付き合ってるんだもんね。そりゃ安心でしょうよ。

あんた、何言ってんの?その男と付き合って頭まで悪くなったんじゃないの。

ほっといてよ!私がどうなろうと他人の勝手でしょ。なんでそうぐちゃぐちゃ言ってくるわけ。結局あんたは私を見下して楽しんでるだけでしょ。本当に心配なんかしてない。うざいだけ。消えて。

彼女も負けず劣らず口が達者なタイプであることをとっくに知っていた私は引き下がった。悪いのは私だ。頭ごなしに叱り付け、話を聞こうともしなかった。反撃されても仕方がない。

ごめん。私が悪い。のっけから感情的になって、しかも否定までして。でも、見下してないし、心配しているのは本当。だってライバルが勝手に自滅してくれる方が受験には有利。でも、私はそんなふうに思ってない。

彼女の具合が悪かったのは、「結局あんたは私を見下して」の件でわかる。今ならばね。人は具合が悪くなると被害的になる。何でも悪い方に悪い方にと解釈するようになるのだ。

それくらいサキは恋愛に溺れ、溺死寸前だった。

相手の腹の中や心の内など、誰にも、どうしようもできないことくらい知っているのに、知っていなきゃ恋愛なんかしてはいけないのに、彼女はそのルールを守れなかったのだ。健全な恋愛ができるほど、彼女の自己肯定感は成熟していなかったということである。

東京の娼年の使い方

娼年の男の子をどう使おうが客の勝手。では私はどうしているかと謂うと、いろんな子を摘み食いするようなことはしないね。ひとり決めたらその子だけを買い続ける。

今は奥村君だけ。

何してるかって、例のキャリア女性向けトレーニングの時間は別にして、基本、体を吟味しながら、話してるわね。ただ話をするって謂うんじゃ面白くないから、体は必ず吟味するし堪能する。舌鼓。

山口君もそうだったけど、奥村君も感度抜群。ゴツい男の子ってどうしてこう体の感度が高いのか、誰か証明していたような気がするけど忘れちゃった。

奥村君って、大学生なんだけど、すっかり大人の男の匂いというか味がする。大学生の「男の子」と話しているって謂う感じがしない。オッサン臭いと謂うのとも違う。確かに年齢相応なんだけど、風格?風格っていうと山口君になるんだけど。奥村君のも風格なのかなあ。ということは、一口に風格といっても実は色んな風格があるということよね。

あ、でも風格だわ。

動じない感じ。ふわふわゆらゆらしてないから。何が起こっても対処できるぞ。という揺るぎない自信を感じる。細かいことをいちいち気にしないというのは、このクラスの男の子には絶対必要な性質ね。でないと風格なんて漂ってこないから。

吟味とか堪能とかしていたら奥村君勃っちゃうんじゃないかって?

そりゃ勃ってますよ。そんなの普通。健全な男の子ならいちいち言うようなことじゃない。

あ、でも。最近、ちょっと奥村君の魅力わかってきた。彼、危険な感じがする。襲いかかってくる感じ。山口君にはそういうとこなかったから、安心して一緒にいられたけど、奥村君は豹変する可能性が常にある。だから油断できない、だからこっちも常に女でいながら一緒にいるしか無くなる。ともだち、なんかじゃなく、常に男と女。だから彼、人気があるのよ。

女を女にさせる力がある男、とでも表現しようか。

こういう体験をさせる力のある男の子はそうそういない。だから奥村君の1時間が30万円になってしまうのだ。

東京の娼年システムの真相

近い知人には当時から告白していたが、私が「東京の娼年」システムを創った理由のひとつが、この「精子市場」を狙っていたからである。

将来、精子が市場取引されるようになることはじゅうぶん予測できた。産婦人科にも友達がたくさんいたというのもあるが、そもそも激務で見返りがじゅうぶんじゃない産婦人科に、高校大学時代の「イカれた天才」たちが進んでいくのを見て「あれ?どうして?」と気にはしていた。そこで、ひとり掴まえて問い正したところ、白状したのがこの精子市場だった。やっぱりね。あんたも同じ穴の狢ね。

富裕層は価値の高そうなもの、値上がりしそうなものは何でも書いたがる。

これも知っていた。女子校の友達の親は富裕層が多かったから。

特に中国やアメリカの富裕層は性格もイケイケで、欲しいと決めたらボンボン金を出す。彼らは金を出すことで市場が活発化する論理をちゃんと理解している。そして、彼らは既に十分な金を持っている。あと、欲しいものがあるとするなら、名声とか名誉なのだ。それを買った精子から生まれた子で満たそうとしている。わかりやすいし生々しい。

どういう種類の男の精子に高値がつくか。そして値段決定の際に評価すべき項目は何か。こういった精子提供の男や精子そのものの評価システムが、いまだに全然できていない!ということに気づいた私は、チャンス!とばかりに参入し、第一人者になってしまおうと目論んだ。学会を経由するとモラルや倫理の問題で話のスピードが亀以下になるのが最初からわかっていたから、学問でなく産業から切り込むことにした。その方が話が速く資本主義的だからである。

普通がいちばんと言う狂気

人目他人の目を病的に気にすると、自分の判断による決定行動できない癖がついてしまう。ということは自分では何も、自信持って、判断決定できないということになる。そうなるとヒトの精神は間違いなく病む。病んで働けなくなるから貧困になるのは当然として、それ以上に、貧困の沼にずぶずぶ沈み這い上がれなくする理由が、人目他人の目を病的に気にする脳みそにはある。

世界は「資本主義」という経済システムを採用しており、その資本主義では、「皆と同じ」とか「普通」は何の価値もないとされているのだ。このことを理解せずぼんやり生きている人は相当たくさんいる。以前、顔や体がカッコよくて私の好みだった男の口から、

普通がいちばん。

というセリフが飛び出て来た時、私は耳を疑うより前に、瞬間冷却されたみたいに一瞬で冷めた自分を自覚した。我ながらびっくりした。それくらい「普通がいちばん」という考え方は、資本主義においては適者生存できない危険な考え方なのである。びっくりしながらも、そういう不合理な考え方を本能的にシャットアウトできた自分自身の判断を誉めた。

もしあの時、私が自分を曲げて、彼の考え方に賛同していたら今の成功はない。おそらく一介の精神科医として外来や病棟業務に忙殺される生活をすることになっただろう。

普通なんて、良いことは何もない。

資本主義においてこの考え方はとても大事である。この認識を脳みそに刻まない限り、資本主義における成功は掴めないし、それどころか貧困の沼にずぶずぶ沈み、2度と這い上がって来れなくなる。

今の怪し気が次の覇者

以前私の座右の銘として高須克弥氏の「今の怪しげが次の覇者」という言葉を紹介したことを覚えているだろうか。あの後、数人の知人から「刺さった」というメールが来た。そう。まともなら、刺さらなければおかしい。あの言葉にはそれくらいの真理が詰まっている。

特に日本人は外国人や外から来たものへの心理的抵抗が強い。異質や理解できないものへの抵抗である。抵抗どころか攻撃排除への傾向が強いのが精神科医として気にかかるところである。

村八分という文化に象徴される日本人の集団とか組織というものに対する考え方は、令和の今となっては異常である。「皆と同じ」を強要し、そうしない人を寄ってたかって虐め攻撃し排除する。今だにそういう機能を温存させている組織や集団は実に多い。会社であろうが部活であろうが、今だに、そこら中に残り、人々の精神を病ませる大きな原因となっている。

この事態を改善する方法は一つしかない。歴史に学べば一つしかないのだ。それは、

多数派に屈しない。

それだけである。大丈夫、歴史が私たちにそれを教えてくれている。天動説地動説だってそう。今、事実真実として揺るぎないことでも当時は「キチガイ」扱いされ、打首処刑されたのである。高須先生にしても同じだ。医師免許を取得しておきながら美容に進むなんて「頭がおかしいのか」「いかれてるんじゃないか」と散々言われたそうである。そういう時代だった。しかし今は「イエス高須クリニック」である。このイエスの意味、皆さんは本当に理解しているだろうか。

「自分らしく」と言われるようになって久しいが、自分らしくを実現する最初の一歩が、多数派に屈しないことである。ここを乗り越えられない人が、恐ろしいことに、一生果てなき「自分探しの旅」を続けなくてはならないのである。

精子取引。

東京の娼年は「金を有効に使いたがっている」富裕層への、男の子のデリバリーシステムである。私が後期研修を終え、精神科医として働き始めた頃に創業したのでもう6年になる。

これを始めた頃、未来の世界がコロナウィルスにより、こんな状況になるとは思いもしなかったが、巣ごもり消費を追い風にデリバリー系ビジネスは売上を伸ばし、ヒトのデリバリーである東京の娼年の売上も急増した。全く、未来というのは本当に予想がつかないものである。

精子を欲しがる富裕層が増えることはわかっていた。

他者と差をつけることが資本主義で勝つ戦略のひとつである以上、精子の時点から差をつけたいと考えるのは当然だろう。

ここら辺に関する法整備もズサンというか曖昧で、規制も曖昧である。もっとも曖昧にしておくことで、富裕層には自由にやっていただいて結構です、という意図があるのかもしれない。

医者の中にも積極的にプロトコルを創造している先生がいて、代理母を借りるという面倒な方法をとらず、精子提供者と自分の妻の性交渉を認めるという方法を採用し、方法そのものはエキセントリックだが、生物学的には自然な形で実行している。

精子提供者への報酬も規定がないぶんさまざまで、ここ数年で、億単位の報酬は珍しくなくなった。

東京の娼年システムの利益は、精子取引と後継者推薦の仲介料であり、男の子を紹介するのにいちいち手数料を取るといった面倒な真似はしていない。男の子は顧客から直で「車齢」としての報酬を貰うので、私は彼らが幾ら貰っているかの正確な数字を知らない。