東京の娼年は男女不平等への挑戦

男が「女を買う」と言っても騒がれることなどないが、女が「男を買う」と言うと、

自分を貶めることするなよ。
悲しい女だな。

などと言われるけど、一体何故?男どうしじゃ話題にもならないことなのに。

そこには明らかに「女のくせに」という男の身勝手で傲慢な論理が作用している。

それが男と女が現実的には平等じゃないという証拠なのだ。

「東京の娼年」システムは「富裕層女性が高額で男を買うシステム」。貧乏男が女の体欲しさに数万ぽっちで女を買うのとは違うのだ。娼年を買う女性は1時間あたり10万、20万、奥村君に至っては30万円支払う。それだけの金額を払うのは、東京の娼年の顧客は男の価値に金を支払っているからだ。性行為じゃない。

富裕層は価値に相応しい金額をさらりと支払う人たち。このシステムなら、女が「男を買う」と言っても自分を貶めることにはならない。女の体を買う男と違い「価値に大金を支払っているのだから」。