「自分を売る」ができないと貧困に落ちる

自分を売ると言えば、相変わらずカラダを売るだのセックスを売るだのと、短絡的に考える脳みそは確実に貧困に落ちる脳みそである。

言うまでもなく、自分を売るとは、自分の価値を売ることである。

そして価値とは資本主義的価値のことだが、資本主義の意味すらわからないようでは話にならない。

今や、人も企業も、価値の獲得と差別化に懸命である。ツイッターやインスタで日々人々が行っているのは、いかに自分を注目させるかの終わり無き競争である。

そもそも資本主義の本質は競争なので「競争なんか嫌だ」と言ったところで絶対逃げられない。何故なら労働力すら商品化され、競争させられているからだ。

資本主義ではモノもヒトも「普通」や「皆と同じ」に価値は無い。特に高く評価される人材というのは、常にエキセントリックな脳みそを持つ少数派である。

東京の娼年は1時間で最低でも10万20万稼ぐが、この数字は体やセックスを売ったくらいで稼げる数字ではない。今や、体やセックスなど、売っても大した価値と評価されないモノになってしまったのだ。

女医が男の子にいくら払うか

東京の娼年の男の子に女医がいくら支払うか。相場というものは無く、男の子の価値に相応しい金額が支払われるが、通常、1時間最低10万円以上である。

男の子が初めての顧客と会う時、最初の客は顧客の中で最も目利きの鋭い客をあてがう。理由は厳しく評価してもらうためだ。その客が1時間最低10万円以上の価格をつけなかった男の子に私たちはその後期待することはない。厳しい世界だ。


例えば現在のエース奥村君は1時間30万円の価値をつけている。引退直前の山口君は1時間25万円だった。ちなみに医師の時給は平均10000円から15000円なので、彼らは医師の20倍、30倍の価値をつけられているのである。

大金を稼ぐ男の子に共通する性質

富裕層に自分の価値を売り、大金を稼ぐ男の子らに共通する性質を洗い出す作業はとても刺激的だ。

傑出する子らに共通するものは、世間的に怪しげと言われるものに、強い好奇心を抱くことである。

大学1年の山口君は「闇のバイトサイト」に陳列された怪しげなバイトの面接を片っ端から受けに行き、身を徹して精査することに夢中になった。

一方奥村君は出会い系アプリを利用した「パパ活」に入れ込んだ。相手が女だと法律に触れることを知っていた彼は、法に触れない男を顧客にし、1年も経たぬうち、月200万円支払う上客を捕まえるのに成功した。

怪しげなものに興味を持つ大御所と言えば、日本人全員が知っている「イエス高須クリニック創始者高須克弥氏である。彼の名言「今の怪しげなものが次の覇者」は私の座右の銘である。

怪しげなものに興味を持つということはどういうことかを精神科的に考察すると、極めて健全に成熟した自己肯定感を持つ彼らにとって、安全すぎる選択は居眠りを我慢するくらい苦痛なのだ。そして難局を超えられるか否かの状況に、サーフィンのように興奮するのである。

そんな彼らを多くの人は「変わっている」と言うだろう。それでいいのである。資本主義では「よくあるもの」「みんなと同じ」「普通」には何の価値もない。多くの人から「あいつ、おかしいんじゃないの」と言われるくらいでないと、成功することなどできないのだ。

カッコいい男の子を支援するというライフスタイル

ここ数年、かっこいい男の子が次から次へと登場してくれたおかげで、私は嬉しい悲鳴をあげている。特に、4年前に彗星の如く登場した山口君、そして、3年前に登場した奥井君江良君の名コンビ、そして去年は奥村君、そして今年、佐藤康君。私に言わせれば、全員、スーパーアイドル級もしくは怪物級にかっこいい。全員105キロ前後の似たような体格をしている。

山口君に至っては、彼の登場の前に、私にどんな男と知り合ったかを忘れさせてしまうほどの衝撃だった。実際、山口君と知り合う前に知り合った男のことを私はほとんど忘れてしまっている。

んじゃ、彼らの何がそれほどすごいのか、という話をしたい。

まず筆頭にあげたいのがボリューミーな体である。私たち熱狂的ファンからするとダビデ像にも匹敵する。逞しいとか、かっこいいとか、すごいとか、そこらへんの言葉を全部鍋にぶち込んで、ぐるぐるかき混ぜると「美しい」という言葉になる。

そのボリューミーな体の中でも特に凄いのが、ぶっとい太ももである。もう全員、凄い足をしている。今日取りあげたいのは天理大学ラグビー部今季主将の佐藤康(こう)君の太腿だ。写真を一眼見ればわかるように、ものすごい足をしている。両足で挟んでもらい、思い切り締め上げて欲しいとすら思う。

佐藤君の足の間で死ねるなら本望だわ。

そんくらいのレヴェルなのだ。何が?って、好き具合が。佐藤康君の両足をぼんやり夢想しながら海辺で10時間過ごせる。すごくいい肌触りかつ匂いがするんだろうな、などと勝手に想像しつつ、美しい海を眺めるなんてこれ以上に幸せな時間はない。

ありがとう。康くん。

驚くべき山口君の新事業②

世界の高齢者問題は思いの外、根が深い。生きる目的を失い惰性で生きる、人の最後の数年間というのは、一体全体どんな時間なのだろうか。私にはわからない。正直言うと、解ろうともしなかった。全ての人が避けることのできない時間、くらいにしか考えていなかった。

しかし山口君は違う。

東京の娼年としてたくさんの人の人生に関わり、一見何の悩みもなさそうな富裕層の人たちにも、聞いたらあっと驚くような苦悩があると知り、それら全てを「乗り越えるべき課題」と変換し「一緒に乗り越えていくことで」解を導いてきた。

キャリア女性の苦しみもたくさん知ったことだろう。私も山口君の前で何度か号泣した。彼が一貫して私たちに示した態度は「一緒に乗り越えよう」だった。言葉にすると何の変哲もないように思われるかもしれないが、当事者にすると両手を併せ拝みたくなる、それくらいありがたい姿勢なのだ。

高齢者介護はおむつを変えたり食事の介助をすることだけでは無い。自立した生活ができなくなる直前の数年間をいかに過ごすかで、その人の人生の最終的な「色」が決定してしまうのだ。

驚かれるかもしれないが、私たち医師は高齢の患者から「早く死にたい」「殺してほしい」「早くお迎えが来てほしい、後生だから」と何度聞かされたかわからない。自力で自分の思うように動けなくなるというのはそれ程の事態なのである。

山口君はそこに挑もうとしている。

エヴェレストよりも高く厳しい山かもしれない。助けるつもりが自分の命を落とすことになるかもしれない。しかし彼は抜群のアイデンティティと健全に成熟した自己肯定感の持ち主、人類の目の前に立ちはだかる「解くべき難問」から逃げるような男の子ではないのだ。

驚くべき山口君の新事業①

山口君が新作を発表した。「看取り士」という仕事である。対象は高齢者。人生最後の数年を「山口君と一緒にひとつ目標を決め、それをふたりで必ず達成する」というサービスである。精神科医の私が脱帽する彼の事業感は天才というより他にない。

加齢の何が怖いか。

これまで自分一人でできていたことがだんだんできなくなり、関わっていた社会から潮が引くように静かに離れていき、気づいたら周りに誰もいない、文字通りの孤独となり「後は死ぬだけ」という状況を、人は異様に怖がるものなのだ。

死ぬ以外、他に目標も何もない状況が、死ぬこと自体への恐怖を凌駕する。山口君はここに目をつけたのだ。恐ろしい。本当に恐ろしいセンスだ。

彼が東京の娼年として初めて世にデビューした時、最初に彼を買ってくれたのは70歳手前の男性だった。その男性は、足腰が急に弱ってきたため、大好きな銭湯や温泉に自由に行けなくなったのにとても不自由を感じ、一緒に行ってくれたり、自宅の風呂に入るときにも見張り(番人)をしてくれる、そういう男の子を探されていたと記憶している。

結論を先に言えば、山口君は最初のその仕事で大成功を収めた。

それはどういうことかというと、その男性の真のニーズを正確に導きだしたのである。

その男性が本当に困っていたのは「老いへの不安」だった。それを中核とした周辺症状が「風呂や銭湯の件」だったというわけだ。山口君は、その男性と丁寧に関わることで顧客の真のニーズを引き摺り出すことに成功したのである。マーケティングの基本中の基本を忠実に行っただけだと山口君は謙遜していたが。

あの時、その男性からいただいた「お手紙」を読み、私は不覚にも涙を流した。それは何故かと言うと、

山口君のおかげで、この年になっても「もっと生きていたい」と初めて思うことが出来ました。

と書かれていたからだ。それを思い出すと、今こうしてこの文章をタイピングしている文字すら涙で滲んでくる。山口君は本当にすごい男の子なのだ。

稼ぐ稼げないは脳みその差

稼げる稼げないの差は脳みその差である。富裕層と貧困層の差も脳みそである。

脳みそが考え方やライフスタイルを決定する。

その脳みそを今風に言うと「非認知能力」「非認知スキル」即ち、

やり抜く力、好奇心、自制心、楽観的なものの見方、誠実さ、といった気質のことである。

失敗を恥ずかしいものとかダメなものと考えたり、理不尽にいちいち目くじらを立てたり、物事の悪い面ばかりを見てしまったり、他人も自分自身も信じることが出来なかったり、、挙げ出せばキリがないが、全て「稼げない脳みそ」「貧困に落ちる脳みそ」とである。

「恥ずかしい」とか「プライド」を持ち出し、自分のやりたくないことから逃げ回る脳みそも駄目。稼げない。そもそも「恥ずかしい」という感情は事業を興す者が持つべき感情ではない。

「恥ずかしい」は周りの目、他人の目を病的に気にする人間の脳みそが勝手に作り上げる面倒で不経済な感情である。そしてそれは主に「何かの行動をしたくない」時に用いられるから質が悪いのだ。

大学1年で自らアダルトムービー会社を立ち上げ巨額の富を築いた山口君は、自分のセンズリ動画を撮りまくり多くの知人に晒しては「添削」してもらっていた。そして修正に修正を重ね、遂に1回50万円支払われるセンズリを完成させた。同時にセンズリをショーサービス化に成功し、人類史上初めて、それまで日陰モノでしかなかった男のセンズリをたくさんの顧客が金を落とす市場という白日の下に晒したのである。

このように、資本主義で結果を出すには「皆と同じ」とか「普通」の考え方では駄目である。皆と同じ時間の過ごし方、皆と同じ戦略、全部だめ。皆と同じように恥ずかしがっていてもだめである。

繰り返すが、資本主義では「皆と違う」が武器となり価値として評価される。皆と違う考え方、皆と違う感性、皆と違う体験、、これらは全て高い価値と評価される基盤となる。

皆と同じ道、皆と同じ進路、皆が選ぶような会社、皆がやりたがる仕事、皆が嫌がる体験、これらは全てコモディティであり、そんなことを言ったりしたりしている奴が稼げる訳が無いのである。